導き手について

〜指導者として〜

学び方について書きましたので、今回は導き手について一筆。

指導者として駆け出しの時に起こりがちなのは「これを伝えないといけない」という気持ちから、学び手に余裕をもたせることを忘れてしまうということ。

山本五十六氏の名言【やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ】

に当てはめてみると 【やってみせ、言って聞かせて】に時間を掛けることが多くなりがちです。
【させてみせ】を確りとることで本人に《これ何か違うきがする》と感じさせ、一考させることが肝要。

そして《これ何か違う気がする》の《何か》が「何なのか」を的確に伝えることにより落とし込むことができるのです。
勿論、その「何なのか」が指導者に見えていないとできません。

ただ放っておけば良くない癖がついてしまう。
しかし一から十まで張り付かれては稽古がただの苦痛になってしまう。
この辺りのさじ加減は自分が稽古を通して何に苦労したのか、どう教わって分かり易いと感じたのか、などの経験が生きてきます。
故に、サラッとこなして出来てしまった人というのは出来ない人の気持ちが分からないことが多いのです。
そうすると稽古に対しての進捗を【ほめてやらねば】が出てきません。「何でこんなこともできないの?」という風に。

【ほめてやらねば】という部分は調子に乗らせようという訳ではなく「この部分は良いね、でもここはこうしないとね」という風に学び手の得た、出来た結果に対して正しく評価すれば良いのです。

総括すれば、
学び手にやるべき課題を提示し、トライ&エラーをさせて本人に疑問/問題を提起させ、解決法を伝える。出来ているその具合によって適切な評価を添える。
ということです。

〜学び手〜の話の「水を自ら飲む」という例えはトライ&エラーと問題提起の部分です。
自ら積極的に水を飲む意思の無い人に、言い換えて上達する意思の無い人に、解決策は伝えられません。
故に「この水を飲んだら上達しますか?」の問いに「飲め」と答えるしか無いわけです。
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